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戦争か平和かの選択の時
 ロシアのウクライナへの侵略戦争が始まって3か月が経とうとしている。中国で平和と障がい者スポーツの祭典が始まろうとする時に戦争を始めたことに、驚きと怒りを覚えたが、その後の世界の動きを見ていると、20世紀前半の戦乱と狂気の時代が再び始まるのではないかという不安が広がってきた。
 最も気になるのは、軍事同盟の強化や軍備拡張の動き。
 確かに、力で攻め込まれた時に跳ね返す力がほしい・・というのは、動物的な本能からはもっともであり、単純な発想で判りやすいとは思うが、人類の「戦争」の歴史を考えると、もっとも危ない発想のようだ。
 まず、ほとんどの戦争が「国を守る」名目で始められており、戦力自体が「国防」の名目で作られてきた。多くの国民・市民が「侵略軍」に税金を払うことは気が引けても、「国防」となると協力せざるを得なくなり、いのまにか戦争の片棒を担いでしまい、敗戦後に被害者として後悔するという歴史だった・・(アメリカだけはまだ被害者になったことが少ないのでまだ理解していないようだがが)
 今戦争を始めている国、ロシアやイスラエル・心配されている北朝鮮もだが、、先の大戦で大きな被害を受け、「防衛」のための軍事力に力を注いできた国だが、防衛の戦力を他国への攻撃(これも名目は防衛のようだが・・に使っている。
 戦争から国を守るための戦力・・こそが戦争を生んできた。

 真に戦争を防ごうと思ったら、平和の道に力を注ぐしかない。
 そのためには、外交や法で戦争を縛っていくことしかありえない。荒唐無稽と思われるかもしれないが、現実には国際法で戦争を禁止、条約で大量破壊兵器を禁止、そして日本のように憲法で他国との戦争を禁止する。などの取り組みが少しづつだが平和を拡大している。

 いま、世界が選択すべきなのは平和への道の拡大しかない。
 
 だが現実の政治家は幼稚な発想に取りつかれ逆の努力を始めている。最近の政治の動きを見るたびに、モヤモヤが広がる。


 防衛名目であれ軍事費拡大を行ってはならない。
 防衛のための敵基地攻撃・・など屁理屈はもってのほか、戦争の公定で防衛とは正反対の思想。
 核の脅威を減らすには、核兵器の禁止を広げるべきで、「核の傘」を広げ、核の共有などありえない。他国に核廃棄を要求するのであれば、自国の核や核の傘も同時に廃棄の道を示すべき。
 憲法の改定・・ではなく、戦争放棄の憲法を各国に広げるのが日本政府が目指すべきこと。
 中立国は軍事同盟に加担するのではなく、より中立国を広げる努力をしてほしかった。(NATOが防衛専門の同盟ならまだいいのだが、現実は軍事同盟で他国への派兵もしている・・)


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