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宗教の非科学的教義・盲信の害   執筆中
 宗教は、人間社会が生まれたと同時に人間によって作られたようだが、人間社会を維持する上で有用な教義・・ある意味で科学的な側面と、特定の人間層の利益を維持するために作られた非科学的な教義が混在している。

この点を見極め、選択していくことが必要だが、
宗教がそもそも「未知への恐怖」への説明や、弱い心をカバーするため生まれた経過もあって、なかなか難しい。科学が発展した現代でも、十分な教育の機会がない限り宗教の力は衰えない。

なにかいい方法があればいいが。
盲信者は、矛盾を指摘されると、反発する傾向もあるし。
現実の問題とこころの中だけの問題が簡単に識別できないようだ。


宗教の中には有用な教義も少なくない

 悲しみや恐怖を乗り越えるための精神修養や、こころの安定に役立つもの。
 たとえば、「来世」や「死後の世界」・・あることを証明できないが、ないことが証明できるものでもないので、「あることにして置けば」死への恐怖や、近親者の死への悲しみを緩和できる。
  
 たとえば、社会哲学的なもの。戒律とか・・現実に存在するわけではないが、これも「あること」にしてしまったが、人類の社会的な存続に有用(かもしれない)。
 先祖・家族・隣人を愛せよ とか・・
 自然・動物を大切にしたりとか(行きすぎない範囲で)

有用でない教義
 「奇跡」・・宗教教祖への権威付けでよく使われるが、中身は都合のいい偶然か虚偽。ま、奇跡の多い宗教教義は、教義そのものへの自信のなさからうまれたものだろう。
 「たたり」・・教義を守らせるための脅し、お話の範囲ならいいが、エスカレートすると、新たな恐怖を生んでしまうので有害。
 「選ばれた民」・・これは、宗教を特定の人間が利用するために持ち込んだ概念で、もっとも有害。実際にはなんの道理もない権力・特権の合理化の為に使われるが、裏返していえば、特定の人間や民族に特別の価値がないことの証明。

 「迷信」・・奇跡とにたように、偶然や虚偽から生まれている。基本的には有害だが、おはなしとして面白いものは、迷信であることを理解した上なら、あってもいいかもしれない。


・盲信のもたらす悲劇。
 つまり、本来なんの根拠も正当性もないことを人に信じ込ませるために生まれたのが宗教の一側面だが、これを「盲信」してしまうと、悲劇的な結果を生む。
 経済的に価値のないものに大金をつぎ込んだり・・・
 他者の正当に生きる権利を平気で奪ってみたり・・・
  しかも正しいと信じて・・・

すくなくとも、以下の教義の多い宗教には要注意だ
・合理的・科学的にはありえない教義 奇跡とか神のお告げとか・・
・特定の人間・集団と他を差別する教義 
・教祖を特別な人間と考え、盲従を勧める

もし、宗教がないとこまる人には・・・
・・科学の発達していない時代に人々を導くために作られた虚偽の話だが、歴史的価値があるのでそのまま伝えている・・・という自覚・注釈付きであれば、ま、いいかな。

 かく言う私は、本質的には無宗教だが、なにか宗教あたほうがよさそうな場面(何宗ですか?と聞かれたら)、とりあえず浄土真宗を騙っている。
 仏教の教義はそう悪くない・・阿弥陀様や仏陀の逸話はたとえ話として聞き流したうえで・・・基本の「諸行無常」の概念や、アミーダの宇宙観は、悪くない(来世・地獄は別)。日本の「八百万の神」を拝むのは自然を大切にする発想で悪くないが、支配・権力の正当性をこじつけるために使われる「神道」はいただけない。神社へのお参りは御付き合い程度にとどめておく。


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